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実験4号

生きのばしていく

『燐寸少女』:読解力と情熱への敬意の話

感想

人は他人と自分を比べてしまうという事を良くしてしまうものだと思います。みうらじゅんの言葉で、「現在の自分を、友人・親・過去の自分と比較してはいけない」という箴言(通称「比較三原則」)を聞いたことがありますが、比べてばかりいる事の危険性は誰にとっても当てはまるものです。それでも僕は毎日自分のダメなところを強調しては他人と比べて落ち込むというのをしょっちゅうやってしまいます。まあ暗い性格だとは思いますがそれも自分です。そうやって日々を生きていくのです。

 

僕は最近になって漫画を読み始めるようになりました。以前から漫画を読むことは好きだったのですが、自分から漫画を積極的に買うようになったのはここ最近です。毎日のようにモリモリと漫画を読む今のこの生活はなかなか楽しいものです。ですが、どんな漫画を読んでも胸を張って「最高だった」と叫びたくなるほどの感動が得られるという訳でもありません。もちろんほとんどの作品は「面白いなあ」と思わせてくれるものばかりで、日本の漫画界のレベルの高さには本当に驚いてしまうのですが、やはり時々作品を読んでも内容が良くわからなかったり、自分の中でうまく解釈できなかったりしてもやもやを抱えてしまうといった事があります。

 

漫画を読み始めてみて、いろいろどんな漫画がいいのか調べようとすると、この現代社会には本当に多くの漫画好きがいることがわかります。どの人も漫画がとても大好きで、沢山の漫画を買って、沢山の感動を漫画から受け取っているようです。(もちろんケチつけている人も同様にいっぱいいますが。2ちゃんねるにいる人とかはちょっとケチつけ過ぎじゃないでしょうか?)

 

そうした人々の発言をTwitterとかで見ていると、特に自分が読んでもやもやを抱えて
しまった作品を絶賛している人の声を聴くと、「みんなとても漫画の読解力が高いのだなあ」と思って、少し落ち込んでしまいます。ひょっとしたら別にそんな楽しくなかったのになんとなく面白かったと思いこもうとしているだけの場合もあるのかもしれませんが、まあそういうのは置いておくとして、とにかく自分の読解力の無さに少々絶望してしまいます。自分はあまり「良いマンガ読み」では無いのかもしれない、と考えると、「果たして自分が漫画を読むことに意味はあるんだろうか?」なんて思ってしまったりもします。

 

今週のジャンプ(11号)で、吾峠呼世晴先生の『鬼滅の刃』という新連載の漫画が始まりましたが、僕はこの作品を読んで、最初は「ジャンプにしては淡々としていて地味だなあ」とか、「1話だけじゃよくわかんないなあ」などと思いました。ところがツイッターを見てみると、『タケヲちゃん物怪録』のとよ田みのる先生や、『ホクサイと飯さえあれば』の鈴木小波先生が「ジャンプの新連載やばい」「1話にして異能を感じる」などと盛り上がっていたのでした。恐らくとよ田先生や鈴木先生は大変「良いマンガ読み」なのであって、僕よりもたくさんの良さを『鬼滅の刃』という作品から読み取ることが出来たのだと思います(漫画家の先生が「良いマンガ読み」なのは至極当然なことではありますが)。

 

もし自分の読解力が人に劣っているならば、漫画家の先生たちのような素晴らしいマンガ読みの人たちがマンガから得られる感動を、自分はどうやっても手に入れることが出来ないならば、僕には漫画好きと言える資格はないのではないでしょうか。いや、漫画好きの資格ってなんだよクソが、って感じもしますけど、僕のこのもやもやをいくらか含んだ漫画体験はゴミクズみたいなものなのではないか、とか思ってしまう日々なのでした。

 

 

さて、去年の年末にKindleKadokawa系列の作品が大量に値引きされていたので、とりあえず50冊ほど買ったという事があります。その中の一つ、鈴木小波先生の『燐寸少女』の中の「甘い努力」という話を読んで、こうした気持ちが少しく浄化された部分がありました。

 

鈴木小波先生の『燐寸少女』は、使うと思っていたことが具現化する「妄想マッチ」を巡って、自分の欲望に振り回される人々の姿を描いた作品です。欲望を急速に現実化してしまう妄想マッチによって、人の心の醜い側面が暴かれていく、それがどれも身につまされて、読んでてとてもヒリヒリした心地になります。

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 (鈴木小波『燐寸少女』2巻、1ページ)

 

2巻に収録されている第7話「甘い努力」という話は、パティシエとしてケーキ屋さんで修業中の安木という青年が主人公になっています。

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(鈴木小波『燐寸少女』2巻、29ページ)

彼は過去に陸上を頑張ったけど報われなかったという経験から、努力を嫌悪する性格をしています。また、彼のケーキ屋の同僚に高山という男がいるのですが、彼は安木とは正反対に、愚直な努力を重ね、パティシエとしての実績を少しずつ着実に積み重ねています。

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 (鈴木小波『燐寸少女』2巻、6・7ページ)

 

ある日、ふとした事情から「妄想マッチ」を手に入れた安木は、マッチを使って「努力せずに成功したい」という欲望を叶えます。具体的には、彼の自作のケーキがなぜかコンペで高い評価を受けるようになったのでした。一方で、安木は高山の愚直な努力に対して嫌悪感を抱いていたので、マッチの力で高山のケーキが悪評価を受けるようにしてしまいます。

 

ある時のコンペで、ケーキ作りがうまくいかない高山に、ケーキ屋の店長が店をもう辞めろと言い放ちます。安木は、初めはそれを聞いて動揺する高山をほくそ笑みながら眺めていたのですが、涙で顔面をぐしゃぐしゃにしながら「お菓子を作りたいんです」と叫ぶ高山の姿を見て、安木は突如悟ったのでした。

「ああこいつのは努力じゃないんだ

 恥を捨てられるほどの苦しさを乗り越えられるほどの

 努力と感じないほどの 熱情なんだ
 うらやましい」

(鈴木小波『燐寸少女』2巻、35ページ)

「高山の情熱に自分は敵わない」という事実に気が付いた安木は涙を流します。

 

安木はその後マッチを使うことをやめるのですが、一方でケーキを作ることはこれからもやめないという決断をします。

「俺は鎧を脱いで走ってみる
 そしていつかきっと踏みつぶされる 

 メレンゲのようにぺシャッと 泣き虫の巨人に
 その時笑っていられるかは また別の話」

(鈴木小波『燐寸少女』2巻、37ページ)

安木は自分のケーキ作りの情熱が高山に敵わないことに気づいています。では、なぜ安木はマッチを使うことをやめてしまったのでしょうか?そして、なぜそれでもケーキを作り続けようとすることができるのでしょうか?

 

それはたぶん、安木が何か一つの事に捧げる「情熱」というものに対して、強い敬意を抱いているからなのだと思います。かつて陸上に情熱を捧げながらも夢破れた彼は、報われない可能性がある「努力」を厭になってしまっても、おそらく情熱を捧げること自体の価値は、心の奥底で強く信じていたのでしょう。高山が持つ「ケーキ作りへの情熱」に対しても、例えそれが自分を脅かすものであっても、敬意を抱かずにはいられなかった安木の気持ちを、僕はとても美しいと思いました。

 

そして安木がこれからもケーキを作り続けるという事は、例え自分の持つ情熱が高山のそれに比べてはるかにちっぽけなものであろうとも、確かな熱量を持った情熱が自分の心の中に存在する限り、それを大切にしようと決めたという事なのだと思います。なぜなら、自分が心の中に持つ情熱を大切に出来るのは、世界でたった一人、自分だけだからです。


僕はまだまだマンガ読みとしては未熟かもしれません。しかし、それでも数々の作品を読んで、腹を抱えて笑ったり、涙を浮かべたり、胸がドキドキして苦しくなったりして感動したのは事実です。その感動がたとえ人と比べたらちっぽけなものだったとしても、僕が持つ、僕だけが心に抱いているこの感動を、情熱を、絶対に大切にしようと思ったのでした。

 

『燐寸少女』を読んで、僕はこんなことを考えました。皆さんは何を考えましたか?僕は、自分が考えたことを文章にすることで、僕の情熱と感動を、もっと大切にしていきたいと思っています。これからもやっていきたいですね。

 

 

『燐寸少女』の3巻もそろそろ発売されるようで、とても楽しみにしています。
鈴木小波先生、実写映画化おめでとうございます。