実験4号

生きのばしていく

音楽と歌詞と歌と

正直なところ、自分は音楽を沢山聞ける人間ではない、と思う。

似たような曲が続くと(それはまだただ単に「別の魅力」を見つけられていないという事だと思うけど、それはさておき)すぐ飽きてしまう。

歌詞がすごい、と言われているバンドの曲を聴いてなまじ演奏も良かったりすると言葉が耳に入らない。あくまで歌は音を構成する一部分として存在していような。

結局のところキャパシティーなんだよな、耳から入ってくる情報を渾然一体なままに受け入れる、それには脳の能力の高い水準が求められる。

 

すごく頭の良い友人がいて、彼はまあだいたいにして何でもできるのだが、一つ、音楽の話題を振ってみるとなると、彼の生命力は5倍増しくらいになってその口から夢幻に言葉があふれてくる。

「チャボ…すなわち仲井戸麗一のソロ作は世界観が全体的にヤバい」「ラモーンズのダウンカッティングのスタミナは尋常じゃない」「ビートルズのアルバムが全リマスターになったらあの曲でポールが普通にミスしてておもろ」

「はは」

そういう語らいをする最中、自分は音楽を聴く能力に関する絶望的な差異を感じる。

音楽を聴いている間、の僕の思っている事は「あ、ここいいな~」の一文で済んでしまう。そしてそう思っていない時間はただボーっとしている。音楽を垂れ流す。歌詞なんで聞けるわけがないのだ。歌詞は歌詞で読んで音楽もきちんと聞いて、それからそれから、ようやく「歌」の全体像を掴む、そんなやりかたになってしまう。そしてそこまでリソースを割くと今度は他の曲を聴く時間がない。いやまあ聞きたいものを聴きたい時に、聴けばよか、とかなんとか、さもありなん、ありますけどね。

 

つづく