実験4号

生きのばしていく

しりあがり寿『方舟』:「死の向こう側」にある美しさ、あと屋内から眺める雨って良いよねという話

 

 

 

 数年前に大学を卒業して、会社という場で働く身分となってから、雨の日が以前よりも好きになった。

 もちろん、濡れた傘を抱えたサラリーマンが満載されている通勤電車に詰め込まれるのはあまり気分の良いものではない。自宅から駅までが遠いので、その間にスーツの裾がずくずくに濡れてしまうのも困ってしまう。それでも雨が好ましく感じられるのは、大学生の頃より雨に濡れずに風景を眺める時間が増えたからだろう。というのは、今の仕事は社外に出ることが殆どないので、たとえどんなに強い雨が降ろうと、会社に到着してしまえば雨は自分にとってただの「風景」と化してしまうのだ。

 

 

 勤めている会社のビルの6階の喫煙室からは、雨にけぶる街並みが見える。ビルはオフィス街ではなくいたって普通の住宅地に建っているので、他の建物に視界が遮られることもない。窓の外の遥か遠くでは、雨によって霞がかって白い膜が張ったようになっており、その幻想的な雰囲気は、自分が眠気のあまり仕事をほっぽり出して休憩している身分である事を忘れさせてくれるようだ。ビルのすぐそばには川が流れており、それもまた風景にアクセントを与えている。川には鉄橋が架かっていて、その陰となる水面は、雨が激しく着水して水しぶきを上げている部分と綺麗なコントラストを形作っている。

 

 

 視線を下の方に向けると、研究所の屋上でカラスが雨宿りもせずその小さな体全体で雨を浴びている。雨が強いとカラスは上手く飛ぶことが出来ないのだろうか、それとも行水でもしているつもりなのだろうか。汗ばんだシャツを着てひたすらキーボードを叩く労働に従事している自分からしてみれば、その姿はとても気持ちよさそうであった。

 

 

 しりあがり寿の作品に、止まない雨によって滅亡していく世界を描いた「方舟」がある。人々は、街がどんどん雨だまりに沈んでいく中、マンションに逃げ込んだり、恋人とイカダで漂流したり、あるいは山の上の家でひっそりと家族と酒を酌み交わしたりする。そのようにして最後、静かに終わっていく世界はとても孤独で美しくて、もし自分の生きているうちに世界が滅亡するのなら核戦争とか、宇宙人の来襲とか、謎の病原菌とかではなくてこういう終わり方がいいなあとか思ったのだった。

 

 

 この作品のラストでは、水没した街を人々の死体が揺蕩い、そこに太陽の光が射しキラキラと輝いている、そういった情景が描かれる。それは、作者のあとがきから言葉を借りるならば、「もうなんだかすべてのものが甘く、悲しいほど甘く、重たい水の中にとけてゆく『終わり』」だった。

 

 こうした「滅びの中の美しさ」を描くことは、作者がある種滅亡に対し肯定的な視線を持っている、あるいは滅亡を回避することを諦めている、という風に受け取られることもあるかもしれない。でも「滅び」にはそれそのものにもうある種の美しさが内在していて、それは「滅び」というものが世界のエンディングのひとつの在り方であるからだと思う。

 

 一つの物語がエンディングを迎える時、感動的な演出が行われることが多いが、エンディングを迎えること自体にも感動を生む作用があるのではないかと思う。そしてそれは、物語というものは終わることで、作品として何らかの結論を出すという挙動をしてしまうからだと思う。そうして結論が出された物語は、今までの描写に再び意味を与え、汲み上げ、また新しい一面を見せる。その時にまた読者の情動が動かされる。

 

 今は「物語」のレベルで書いたが、例えばこれが人間であれば「人生」という物語の終わりは「死」で、さらに広げて社会や世界というレベルで見れば紡がれる物語は「歴史」であり、そこにも「滅亡」や「解体」などのエンディングがある。そういったさまざまな終わりにも物語のエンディングと同じような機能があるだろう。人が死んだとき、残された人の間で故人のまた新たな人物像が再構成されるということがあるだろう。社会主義国家の解体は世界の思想に大きな打撃を与えた。(詳しくは知らない。自分はインテリじゃないから)

 

 もし「世界」が終わってしまうと、それを観測するものは誰もいない。だから、その「世界の滅亡の美しさ」を表現するためにはフィクションでやるしかない。この作品は、そういうものをやろうとした作品なのかなあと思った。

 

方舟

方舟

 

 

 ところで黄島点心の「黄色い悪夢」の最新話「円盤」も世界が滅亡しようとする話だ。ちょっと今回の文章の主旨とはずれるけど、面白いのでぜひ読むのをお勧めします。

黄色い悪夢 第8回『円盤』第1話

 ていうか黄島点心現代最強の漫画家の一人だと思うですけど、なんでみんな読んでないの?あるいは読んで「おもしれ~、早く続き読みて~」ってなってるのに単行本を買わないとかいう愚行をやっているのですか?

 

 漫画村がどうこう、世間をにぎわせておりますが、自分は読みたい漫画を描く人にお金を落として自分にとってありがたいものが増えていくように行動するのみです。本当は全漫画家にクラウドファウンディングとかカンパとかできる制度があるといいなと思う。贈与税の対象になって面倒くさいのかな?

 

・・・という、2年ほど前に書いた文章をようやく仕上げました。

今後、ぼちぼち文章を書いていこうと思います。

 

あと、パンパスグミというバンドでベースを弾いています。

良かったら聴いてみてね。

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