実験4号

生きのばしていく

本当に雑記

 近所の健康ランド的なところに来て、今風呂上がりでぽやーっとしながらこの文章を書いている。ここはサウナと水風呂の設計がめちゃ良くて、まずサウナが広い。広いので混雑しててもあんまり不快なことにならない。視力が悪いので見れないが、テレビもある。そして水風呂。もともと自分はサウナ→水風呂の流れがダメな人で、「こんないきなり温度高い状態から冷水で急転直下させたら心臓麻痺とか起こすのでは」と水風呂の効用については完全に疑っていた。ていうか怖がっていた。が、ここの水風呂は適度に深さがあり、槽内部の階段を勢いのままに降りるともう体の大部分が水に浸かっており、気づいたときには全身が冷水でカッキーンと冷やされており、とまあ水風呂に慣れてなくとも入りやすい親切設計なのだ。まあ最初はスピード感がいる。スピードは大切。

 

 貯金が███.██円あり、今日はこれで仕事をやめたらどうなるかの計算をしていた。会社に勤めているとあまり意識しないが、社会保険料の負担は大きい。失業保険とかは一旦無視してみると、2年持たないだろう。

 かといって実家に帰るという選択肢はなく、というのも自分は「家に人がいる」という状況が嫌で一人暮らしをしているからだ。職場だって別にブラックではない、というか手当類は完全に出るし、かなり厳し目の36協定が敷かれているからむしろホワイトな方なのだと思う。嫌な人もあんまりいないし、全体的に雰囲気も緩い。でも職場には「人がいる」からめちゃめちゃ行きたくない。行きたくなさすぎて普通に遅刻とか良くするし、お腹も壊す。それで怒られたりはしないのも相当緩いが、行きたくないものは行きたくない。こんな緩い環境でやっていけないならば他のところはもっとダメなのではないか、とも思う。フリーランスとかはもっと人と接する必要があるのだろうから絶対無理な気がする。

 

 「人がいる」というのは自分にとってとても恐ろしいことだ。実家ぐらしのときは、朝起きて部屋の外から家族が起きて活動している雰囲気を感じると、もうそれがものすごい嫌で部屋から出ることができなかった。今でも、休日に人と会うという選択肢は、約束でもしていない限りほぼ取ることがない。ドトールコーヒーは席の間隔が非常に近いから入りたくない。ドラえもんの「どくさいスイッチ」にとても憧れがある(全人類を消す)。よく人混みが本当に嫌いという人がいるが、自分はそれなりに嫌だが心を無にしていればなんとかなる程度のものだ。人間嫌いにもいろいろあるということだろう。

 

 現実は嫌なので、虚構に逃げる。逃げ込める先を作ってくれた創作家たちには本当に頭が下がる。自分もなんかお話を考えてみようかと思うが、現代文の成績悪かったからなあ、とかどうでもいい理由をつけてまだ何もしていない。まあやりたい欲が高まったらそのときにやるだろう。そういえば筒井康隆展が今日までだったようだ。自分は1ヶ月ほど前に行ったが、「虚航船団」の生原稿はとても良かった。見た目だけでインパクトがある。最近会社の昼休憩で「巨船ベラス・レトラス」(サイン入り)を読んでいる。会社の中でも虚構世界に逃げ込める、そんな強度のある作家がいて本当に「有り難い」という気持ちだ。「いつか現実と向き合わなければならない」とか言う人もいるが、知ったことか。

 

 虚構に逃げる以外だと、旅行ということになる。誰も自分を知る人がいない、ということがいいのか、それはよくわからないが、GWにロシアの片田舎を訪れた際はとても解放された気分になった。宿泊施設などの社会サービスが受けられる場所を見つけられなかったのでそのときはまた近くの都市に逆戻りしたが。今度は北海道を鉄道で旅したい。路線も減っていっているようだし…

 

 ああ、面倒臭い、もう一度サウナ入ってこようかな。

 

 つづく

旅行記(二日目夕方~三日目朝)

その長距離列車のコンパートメントに乗り込むと、もう既に先客がいた。彼(壮年の男性)は極東欧の街の夕焼け空を、とはいってもその時はもう19時台も半ばを過ぎていたけれど、憂いを帯びた目付きで眺めていた。列車の中で酒を飲み明かす心積もりでいた僕と友人は、彼のその映画俳優のような佇まいに虚を突かれてしまい、黙って向かいの座席に腰を下ろして一緒に夕陽を見つめていた。

 
暫くの間そうしていると、旅のマナーだろうか、彼の方から話しかけてきた。が、こちらは彼の話す言語が分からず、自分たちも英語でコミュニケーションを試みたが、芳しくない結果に終わった。気まずい空気が流れ、彼は困ったな、とやはり俳優のように分かりやすく寂しげな顔をした。

 
そのまま3人でだんまりを決め込んでいたのだが、そのうち僕はその瞬間をなんとなく綺麗な時間だなと感じて、写真を撮りたいと思った。バックパックからほぼ新品のままの状態に近いガイドブックを取り出し、巻末の「お手軽現地語会話コーナー」と題された例文集を探した。すると「写真を撮ってもいいですか。」というまさにそのままの翻訳文を見つけたので、何度か頭の中で発音の練習をした後、意を決して彼に話しかけた。彼は驚いたようだが意図はどうやら伝わったらしく、曖昧な笑顔で肯定の意を示した。僕は現地語でありがとうとだけ言って廊下に立ち、コンパートメントの写真を撮るという建前で、彼を中心被写体として何度かシャッターを切った。

 

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時刻が8時を回ると、僕と友人は空腹を覚えてきたので貴重品だけ持って食堂車に出かけた。今思えば危機管理が雑なような気がしないでもないが、彼はずっと窓の外を見ていたそうにしていたので、大丈夫なように感じたのだった。

 

食堂車はどうやらかなり遠い車両にあったようで、行く途中でたくさんの車両を通り抜けた。自分たちと同じコンパートメントタイプの2等車両(妙に静かだった)、2人部屋の1等車両(車いす向けの部屋があった)、今度は構造が鏡写しのように逆になっている2等車両、多くの現地人がワイワイと過ごしている3等車両、乗務員用の個室、無限にお湯が湧き出る謎の装置(石炭を使っているらしい)、そういうのをいくつも通過して、はて、食堂車はこの列車にはついてないのかしら、と思ったあたりで豪奢な雰囲気の車両に到着した。食堂車だった。

 

ニシンのオイル漬けをビールでやっていると、いつのまにか同室の彼が別のテーブルに座っているのに気が付いた。あれっ、じゃあ今部屋は無人なのか、それくらいの警戒心で問題ないのか、とか考えたが、飯がうまかったのでなんだかどうでもよかったし、気が付いたらいつのまにか彼はいなくなっていた。彼は料理を何も頼んでいなかったような気がしたが、メニューの値段を見て食べるのをやめたのだろうか、まあちょっと高いよな、と無理に結論付けて僕は目の前のボルシチに集中した。すべての皿に執拗にマッシュポテトが添えられていたことと最後に出てきた魚のスープが異常に味が薄かったことを除けば、飯はとても良いものだった。「食堂車」というものの雰囲気に酔いつつ、うまいうまいと言って僕と友人は自分たちのコンパートメントに戻った。3等車両ではもうすでに就寝の準備を始めていた人もいた。

 

コンパートメントに戻ると、彼はおらず、代わりに若い男女のカップルが就寝の準備を始めていた。カップル?え?じゃあさっきの彼はこの部屋の人ではなかったのか?頭に疑問符を浮かべながら僕らもベッドメイクをし、歯を磨いて上のベッドで少しボーっとしていたら、カップルの女性の方が早々と何の断りもなく部屋の照明を落としてしまった。仕方なく暗闇の中でいそいそと寝巻を捜して着替え、やることもないのでそのまま横になった。全然眠れなかったが。

 

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そのままほとんど寝つけず、早朝になり、僕はコンパートメントを出て、音楽を聴きながら廊下の窓の外の風景を眺めていた。目に映るのは葉のすべて落ちた木々、荒涼とした沼地ばかりで、まばらに人家が見えることすらなく、完全に自然の風景だった。大陸とはそういうものかもしれんなと雑に思考しながら、ふと振り返るとあの「彼」がいて、僕と同じく窓の外の風景を見ていた。その時ふと、彼もおそらく僕と同じく車窓を眺めるのが好きな人種なのだろうと思った。それでもう良かった。退屈を愛する、穏やかな人種。

 

それから2,3時間ほどベッドの上でぼんやりしたり、音楽を聴いたり、荷物を整理したり、また廊下に出て外を眺めているうちに目的地に到着した。乗車時間は12時間ほどで、まだ早朝とも言ってよい時刻だったが、高緯度に位置する都市ゆえ、朝日は既に本調子気味で稼働していて、少し暑かった。寝不足で体がだるく、早くベッドに横になりたかった。

 

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駅前のロータリーでは、おそらく旧体制の頃から使用されているであろうトラム(路面電車)が軋んだ金属音を立てながらやってきて、幾ばくかの人を降ろしまた同じくらいの人数を積み込んで去って行った。電線から火花が散っていた。それを横目で見ながら、ホテルに向かった。ホテルではアーリーチェックインができるとの事だったので、フロントにその旨を頑張って伝えると、部屋の鍵を渡され、「まだ食べてないだろうから朝飯をサービスしてあげよう」的な事を言われたのだろうか、宿泊日数よりも1枚多い朝食券をもらった。

 

ホテルの冷えたバイキング形式の飯、というか黒パンを食べながら、このおおよそ活発とは言えない都市で数日退屈な日々を過ごすことになるだろうことを想像して、温かく柔らかい気持ちになった。いや、ただ単に眠いだけだったかもしれないが。食べ終わって部屋に戻ると、もう眠気の限界だった。まだ朝と十分言い張れる時間だったが、僕は友人にお休みを言ってベッドにもぐりこんだ。多分夢は見なかった。

 

春の雨

どうも、パンパスグミ(https://twitter.com/panpasgumi)というバンドでベースを弾いている実験と申します。

 

突然ですが、この世の中には僕にはよく分からない事でいっぱいです。

金木犀の匂いがどれだかわかりません。

スピッツの歌詞の凄さがわかりません。

「家に自分の帰りを待っている人がいると安心する」という気持ちがわからな過ぎて、そういう奴は全員気狂いだと思います。

分からない事だらけのはずの世の中で分かったような面して生きている人は全員白痴ですか?早く良くなるといいですね。

 

そんなことを日々思っている私ですが、最近大切な存在が出来ました。

「ピーヤング 春雨」です。 

まるか商事 ピーヤング春雨 66g×18個

まるか商事 ピーヤング春雨 66g×18個

 

名前から分かる通り、ぺヤングカップ焼きそばのまるか食品㈱の商品です。簡単に言うとカップ焼きそばの麺を春雨に置き換えたものです。

 

コンビニでこの商品を初めて見つけた時、自分の中の春雨に対する様々な思いが滾々と湧き上がりました。

まだ体の到る所に毛の生えていなかった少年時代、家族で水炊き鍋をやる時に必ず入っていた春雨がおいしくてがっついていたこと。

夕食に麻婆春雨が出てくる頻度が下がり、「春雨を買うお金がないのかな」と家計が心配になったこと。

中学生くらいの頃、初めてコンビニで夜食を買いに行った時、麻婆春雨が売っていて即購入したこと。

大学の生協に陳列されていたカップ春雨の物足りなさに、袖を涙で濡らしたこと。

フラッシュバックする記憶の流れの中で、気が付けばビニール袋を該当商品でパンパンに膨らませて自宅の玄関に立ち尽くす自分。はは。

 

 

その後の事は良く覚えていません。ただ、気が付けば口の中の皮が火傷でズルズルになっていて、 机の上には空のカップが散らかっていて、それを見て奇妙な充足感とともに眠りに落ちた私は、翌日普通に仕事に遅刻しました。「家でお腹が痛くなっちゃって」との私の曖昧な言い訳を、曖昧な表情で聞き流す上司。曖昧な製品を作る会社で、曖昧な書類を右から左へ流すだけの業務。人間性を緩慢にしかし確実に奪っていく労働の中で、ただ昨日のカップ春雨の感触だけが本物の輝きを放っていた。

 

 

 

 

しりあがり寿『方舟』:「死の向こう側」にある美しさ、あと屋内から眺める雨って良いよねという話

 

 

 

 数年前に大学を卒業して、会社という場で働く身分となってから、雨の日が以前よりも好きになった。

 もちろん、濡れた傘を抱えたサラリーマンが満載されている通勤電車に詰め込まれるのはあまり気分の良いものではない。自宅から駅までが遠いので、その間にスーツの裾がずくずくに濡れてしまうのも困ってしまう。それでも雨が好ましく感じられるのは、大学生の頃より雨に濡れずに風景を眺める時間が増えたからだろう。というのは、今の仕事は社外に出ることが殆どないので、たとえどんなに強い雨が降ろうと、会社に到着してしまえば雨は自分にとってただの「風景」と化してしまうのだ。

 

 

 勤めている会社のビルの6階の喫煙室からは、雨にけぶる街並みが見える。ビルはオフィス街ではなくいたって普通の住宅地に建っているので、他の建物に視界が遮られることもない。窓の外の遥か遠くでは、雨によって霞がかって白い膜が張ったようになっており、その幻想的な雰囲気は、自分が眠気のあまり仕事をほっぽり出して休憩している身分である事を忘れさせてくれるようだ。ビルのすぐそばには川が流れており、それもまた風景にアクセントを与えている。川には鉄橋が架かっていて、その陰となる水面は、雨が激しく着水して水しぶきを上げている部分と綺麗なコントラストを形作っている。

 

 

 視線を下の方に向けると、研究所の屋上でカラスが雨宿りもせずその小さな体全体で雨を浴びている。雨が強いとカラスは上手く飛ぶことが出来ないのだろうか、それとも行水でもしているつもりなのだろうか。汗ばんだシャツを着てひたすらキーボードを叩く労働に従事している自分からしてみれば、その姿はとても気持ちよさそうであった。

 

 

 しりあがり寿の作品に、止まない雨によって滅亡していく世界を描いた「方舟」がある。人々は、街がどんどん雨だまりに沈んでいく中、マンションに逃げ込んだり、恋人とイカダで漂流したり、あるいは山の上の家でひっそりと家族と酒を酌み交わしたりする。そのようにして最後、静かに終わっていく世界はとても孤独で美しくて、もし自分の生きているうちに世界が滅亡するのなら核戦争とか、宇宙人の来襲とか、謎の病原菌とかではなくてこういう終わり方がいいなあとか思ったのだった。

 

 

 この作品のラストでは、水没した街を人々の死体が揺蕩い、そこに太陽の光が射しキラキラと輝いている、そういった情景が描かれる。それは、作者のあとがきから言葉を借りるならば、「もうなんだかすべてのものが甘く、悲しいほど甘く、重たい水の中にとけてゆく『終わり』」だった。

 

 こうした「滅びの中の美しさ」を描くことは、作者がある種滅亡に対し肯定的な視線を持っている、あるいは滅亡を回避することを諦めている、という風に受け取られることもあるかもしれない。でも「滅び」にはそれそのものにもうある種の美しさが内在していて、それは「滅び」というものが世界のエンディングのひとつの在り方であるからだと思う。

 

 一つの物語がエンディングを迎える時、感動的な演出が行われることが多いが、エンディングを迎えること自体にも感動を生む作用があるのではないかと思う。そしてそれは、物語というものは終わることで、作品として何らかの結論を出すという挙動をしてしまうからだと思う。そうして結論が出された物語は、今までの描写に再び意味を与え、汲み上げ、また新しい一面を見せる。その時にまた読者の情動が動かされる。

 

 今は「物語」のレベルで書いたが、例えばこれが人間であれば「人生」という物語の終わりは「死」で、さらに広げて社会や世界というレベルで見れば紡がれる物語は「歴史」であり、そこにも「滅亡」や「解体」などのエンディングがある。そういったさまざまな終わりにも物語のエンディングと同じような機能があるだろう。人が死んだとき、残された人の間で故人のまた新たな人物像が再構成されるということがあるだろう。社会主義国家の解体は世界の思想に大きな打撃を与えた。(詳しくは知らない。自分はインテリじゃないから)

 

 もし「世界」が終わってしまうと、それを観測するものは誰もいない。だから、その「世界の滅亡の美しさ」を表現するためにはフィクションでやるしかない。この作品は、そういうものをやろうとした作品なのかなあと思った。

 

方舟

方舟

 

 

 ところで黄島点心の「黄色い悪夢」の最新話「円盤」も世界が滅亡しようとする話だ。ちょっと今回の文章の主旨とはずれるけど、面白いのでぜひ読むのをお勧めします。

黄色い悪夢 第8回『円盤』第1話

 ていうか黄島点心現代最強の漫画家の一人だと思うですけど、なんでみんな読んでないの?あるいは読んで「おもしれ~、早く続き読みて~」ってなってるのに単行本を買わないとかいう愚行をやっているのですか?

 

 漫画村がどうこう、世間をにぎわせておりますが、自分は読みたい漫画を描く人にお金を落として自分にとってありがたいものが増えていくように行動するのみです。本当は全漫画家にクラウドファウンディングとかカンパとかできる制度があるといいなと思う。贈与税の対象になって面倒くさいのかな?

 

・・・という、2年ほど前に書いた文章をようやく仕上げました。

今後、ぼちぼち文章を書いていこうと思います。

 

あと、パンパスグミというバンドでベースを弾いています。

良かったら聴いてみてね。

www.youtube.com

アイスキャンディの棒をいつまでも咥え続けてしまう

この3連休は普通に死にたさが本当に強くて、公共交通機関とかこわいし台風近いしでほとんど引きこもっていた。いや、まあ土曜日仕事だったんだけど。

 

わからない。全てが悪くなって行っている。好きなものもやりたいことも何にもなくてただ一人で静かに暮らしたい。

 

ここしばらく本当に食欲なくて、土日合計で2食くらいしか食べないことが多い。料理はいいんだけど、食べる事は疲れるし、吐き気がして厳しい。最近ビール飲むと特定の飯が進むことが分かったので、それで頑張って栄養摂取している。(350ml缶1本が限界)

今日読んだコミックビームに市川ラクさんのトルコでの滞在記漫画が載ってて、トルコでは食事時間を決めておくことはせず、「腹が減ったら食う」というスタイルが基本なようだ。いいな、と思った。自分もそういうもんだということにしてやり過ごせないか。でも食べてないから手足震えるということがあってそれはそれでどうしようか。

 

「とりあえずこの日まで耐えて生きよう」という設定日というのがあって、それがずっと「両親が死ぬとき」という設定になっていたのだが、目標が遠すぎて効力を失っていた。ので「来月の兄の結婚式の日」に設定を変えた。目標はショートステップ。多分次は施川ユウキの新作の最終巻発売日あたりが設定日になるだろうか。

 

タバコを吸っているんだけど、別にそこまで美味しいとかじゃなくて、「草に火をつけて煙を吸って吐く」という行為が楽しいのでやってる、というのと、あと自傷。健康に悪いであろうものを摂取して体にダメージを与えてゆく。蓄積が、人生の終わりを近づけてくれる。そんな曖昧な認識。ちなみに吸っているのはラークのクラシックマイルド9mだ。あんまり吸ってる人見ないけど。

 

つづく

音楽と歌詞と歌と

正直なところ、自分は音楽を沢山聞ける人間ではない、と思う。

似たような曲が続くと(それはまだただ単に「別の魅力」を見つけられていないという事だと思うけど、それはさておき)すぐ飽きてしまう。

歌詞がすごい、と言われているバンドの曲を聴いてなまじ演奏も良かったりすると言葉が耳に入らない。あくまで歌は音を構成する一部分として存在していような。

結局のところキャパシティーなんだよな、耳から入ってくる情報を渾然一体なままに受け入れる、それには脳の能力の高い水準が求められる。

 

すごく頭の良い友人がいて、彼はまあだいたいにして何でもできるのだが、一つ、音楽の話題を振ってみるとなると、彼の生命力は5倍増しくらいになってその口から夢幻に言葉があふれてくる。

「チャボ…すなわち仲井戸麗一のソロ作は世界観が全体的にヤバい」「ラモーンズのダウンカッティングのスタミナは尋常じゃない」「ビートルズのアルバムが全リマスターになったらあの曲でポールが普通にミスしてておもろ」

「はは」

そういう語らいをする最中、自分は音楽を聴く能力に関する絶望的な差異を感じる。

音楽を聴いている間、の僕の思っている事は「あ、ここいいな~」の一文で済んでしまう。そしてそう思っていない時間はただボーっとしている。音楽を垂れ流す。歌詞なんで聞けるわけがないのだ。歌詞は歌詞で読んで音楽もきちんと聞いて、それからそれから、ようやく「歌」の全体像を掴む、そんなやりかたになってしまう。そしてそこまでリソースを割くと今度は他の曲を聴く時間がない。いやまあ聞きたいものを聴きたい時に、聴けばよか、とかなんとか、さもありなん、ありますけどね。

 

つづく

 

 

4月・5月に読んだもの

社会人になりました。案外余裕という事がわかりました。

 

あと気に入った作品の感想をここで書くのはしんどいのでやめます。代わりに長文での感想にシフトしていきます。

 

・5月

<漫画>74冊

荒川弘アルスラーン戦記」(5)

五十嵐大介「ディザインズ」(1)

いがらしみきお「誰でもないところからの眺め」

池上遼一山本英夫「アダムとイブ」(1)

いしいひさいち「地底人の逆襲」

板垣恵介刃牙道」(10)

岡崎二郎「緑の黙示録」「まるまる動物記」(1)(2)

奥浩哉「いぬやしき」(1]〜(6)

梶本レイカ「コオリオニ」(上)(下)

業田良家「百人物語」(上)(下)

桜井画門亜人」(8)

ジョージ秋山「アシュラ」(上)(下)

瀬口忍「囚人リク」(27)

道満晴明ヴォイニッチホテル」(1)〜(3)

西餅「ハルロック」(4)

東村アキコ東京タラレバ娘」(1)

福島鉄平「スイミング」「アマリリス」「こども・おとな」

三田紀房「インベスターZ」(1)〜(11)

モンキー・チョップ「名勝負数え唄」

山うた「兎が2匹」(1)(2)

渡辺航弱虫ペダル」(2)~(30)

 

<小説>8作

沢木耕太郎「バーボン・ストリート」「チェーン・スモーキング」「旅の窓」

筒井康隆フェミニズム殺人事件」

平野啓一郎「空白を満たしなさい」

平山夢明「独白するユニバーサル横メルカトル」

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟

ベケットゴドーを待ちながら

 

 

・4月

<漫画>98冊

麻生羽呂今際の国のアリス」(1)~(17)

新井英樹「なぎさにて」(2)

荒川宏・田中芳樹アルスラーン戦記」(1)~(4)

安藤ゆき町田くんの世界」(3)

いがらしみきおぼのぼの」(1)~(9)

イシデ電「逆流主婦ワイフ」(2)

池辺葵「プリンセスメゾン」(1)(2)

石黒正数木曜日のフルット」(2)

板垣恵介範馬刃牙」(1)~(8)「刃牙道」(1)~(10)

笠辺哲「ラタキアの魔女」

木多康昭「喧嘩稼業」(6)

ゴトウユキコ水色の部屋」(上)(下)

三部けい僕だけがいない街」(8)

瀬口忍「囚人リク」(1)~(26)

中野でいち「hなhとA子の呪い」

野田サトルゴールデンカムイ」(7)

橋本智弘・三好智樹・萩原天晴「中間管理職 トネガワ」(2)

福満しげゆき「中2の男子と第6感」(1)(2)

蛇蔵「決してマネしないでください。」(1)~(3)

盆ノ木至「吸血鬼すぐ死ぬ」(2)

松浦だるま「累」(8)

松田洋子「私を連れて逃げて、お願い。」(3)

横山旬「変身!」(3)

渡辺航弱虫ペダル」(1) 

 

<小説>3冊

沢木耕太郎「敗れざる者たち」

筒井康隆「串刺し教授」

本谷有希子「生きているだけで、愛。」

 

今月読んだ漫画のベストショットはこちらです。

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(業田良家「百人物語」上巻、24ページ)

真実を求めて生きていく。そこに才能は関係ない…とか、優しすぎて泣いてしまいますね。

百人物語 上 (竹書房文庫)

百人物語 上 (竹書房文庫)

 

 

 

ところでネカフェを使うことを覚えたのですが、ちょっと乱読気味になりますね。あと漫画はお金がかかるのでもう少し本を読む比率を高めようと思いました。