実験4号

生きのばしていく

TAGRO『別式』:現実読解とディスコミュニケーションの話

 ※この感想書き散らしはネタバレを含みます

 

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comic-days.com

 

 マンガDAYSでTAGRO『別式』が全話無料だったので、人の薦めもありスマホで全話を読んだ。『別式』は2016年にモーニング・ツーで連載していて、当初自分も読んでいたのだが、仕事が忙しくなって雑誌自体を読むのをやめてしまってそのままになっていた。今回読み終わって大変面白かった気がしたが、全然ちゃんと読み解けていないと思ったので、読み終わったあと、すぐもう一周読んだ。

 

 この作品でとても好きな部分はやはり第一話開幕直後に提示される悲劇、そしてそこから時間を戻してどうしてそうなってしまったのかを描くという物語構成だ。似たような作品としては西島大介の『ディエンビエンフー』が想起され、どちらもポップな絵柄で陰惨な描写がある。あとは冲方丁/三宅乱丈の『光圀伝』もそうかなあ、悲劇ではないかもしれないが。

 

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西島大介ディエンビエンフー』。Kindleで常に安い。

 

 また、作品を通底して描かれるディスコミュニケーション=人と人のわかりあえなさというテーマも好きだ。正直「お江戸ガールズコメディ!」というキャッチコピーからそんなテーマの物語が提示されるとは思わんかった。

 

 ただこの作品はどうにも自分には読解が難しい。複雑な感情と事実認識の交錯があるストーリーはまとめて読めればギリギリなんとかなるが、連載だと正直追えなかっただろう。そういう意味では自分はこの作品と幸福な出会い方をしたとも言える。

 

 難しかったポイントが何点もある。未だによくわかってないところも。

・「九十九はなぜ魁のもとを離れ、どこへ向かおうとしていたのか?」→大体魁が最終的に結論づけた内容(九十九は魁を抱いたあとにやはり刀萌の敵を討ちたくなって岩渕源内の元へ向かう。ただし魁は犯人が切鵺であると誤解)であっているとは思うが、27話における描写が妙に少ない。まあ勝利が岩渕源内捕縛の算段の手筈をつけたエピソード(遡ること半日~)の挿入も唐突だし特に意味はないのかもしれない。

・「29話で勝利が切鵺に言った"だがもし…まだ儂に話せないことがあり墓場まで持っていくというなら儂はそれでも構わん…"は何を指しているのか?」→切鵺が隠すべき事柄ってなんかあったっけ?それとも「勝利が切鵺を疑う余地がまだ残っている」ことの表現?

・なぜ切鵺は「九十九を殺したのは自分じゃない」と明言しないのか?(第34話では誤解を誘発させるような言動すらしている)→九十九の死に責任を感じている?それとも誤解されている事自体をきちんと認識していない?

・最後の類の「倖せは赤い色をしている」という言葉の意味は?→これはいろんな解釈の仕方があると思うからそんなに気にしていないが…。自分としては「幸福であるということがなんなのか、私には確信が持てない」という意味と捉えている。

 

 読解というのはなんとも難しいものである。というのは自分が学生時代に現代文のテストで点を落としまくっていたからだが…それでも読解はちゃんとやったほうがいい。物語にいろいろな解釈があるのは別に良いが、誤った事実認識のもとで解釈された感想・評価は他人と共有できないし、誤りの指摘を受けて崩壊することだってある。感想をちゃんと出力しようという心意気は立派かもしれないが、その前に読解を蔑ろにしては意味がない。読解をやる気がないならば、感想・評価は他人と共有せず、自分だけの世界の中で完結させるべきではないか。

 

 まあ作品の感想を読解を前提とした上で他人と共有することなんてほぼないから、あまり気にしなくてもいいかもしれない。ただ、現実世界において、自分はどう認識をしているのか、そこのところを明らかにせずにやると、それこそ『別式』のテーマでもあるディスコミュニケーションが発生するよなあと思う。『別式』では特に類、魁、切鵺の3人にそれが顕著で、岩渕源内の仇討ち後に本来死ぬ因果のない魁、切鵺が死ぬこととなったのは、それぞれが何を考えているかを他人に共有せず(あるいはできず)、自分の想像で他人を推し量りすぎたからだと思う。一方で早和はあまり深く考えず行動優先の人物で、そしてその性質が他人にも共有されている(第7話参照)からこそ、別式達の潤滑油として機能していたのだろう(刀萌も割とそんな感じだ)。大切なのは考えの深さが違うことそれ自体は問題ではなく、自分の考えの深さを他人に表明しないことの方が問題があるということだ。正直作中の悲劇の半分くらいはもうちょっとみんなで話し合いすれば発生しないで済んだようなものだが、それを言ってしまうと物語自体が成り立たなくなるので置いておく。それにこのことは岩渕源内を売った男が「全く何をどうすればここまでこんがらがる/お前たちにとってその元凶と思われた岩渕は死んだ/なのにまったくハッピーじゃない」って言ってくれてる。

 

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TAGRO『別式』第5巻P137。読者の代弁者

 

 ディスコミュニケーションはいろんな形式があって、他にも「表面上は会話が成立しているようでも、実は相手の話をちゃんと理解していないままリアクションしているだけで内容はずれているのだが、リアクション自体はちゃんと行っているのでそのまま続いてしまう」みたいな現象がある。例えば第33話の魁と切鵺の会話はちゃんとお互いの言っていることを理解しているのか?というテンポで高密度な会話が続く(正直この点でTAGROのマンガは少し読みづらい)。新井英樹が描くような「リアルな聞き間違いによる淀みある会話」や黒田硫黄が描くような「読者にとってハイコンテクストだが作中人物にとっては自然な会話」もそうだが、会話の機能不全の描写は、フィクションを読みすぎて逆に欺瞞を感じるようになった自分のような人間には大変刺さる。こういうのをちゃんと描くのは作者TAGROの誠実さ(めんどくささとも言う)の現れなのだと思うし、とても好きだ。

 

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TAGRO『別式』第5巻P140。魁さん人の話聞いてます?

 あと類の「自分本位スライド」面白すぎる。現実世界の会話でこれやられるとおやっという気持ちになるけど、フィクションだとわざわざ描写されないとちゃんと会話が成立しているように見えちゃうんだよな。

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TAGRO『別式』第3巻P131。主人公の最悪ムーブ。

 絵がめちゃめちゃポップなのに描かれている人・現象が面倒臭くて、ぶっちゃけTAGRO作品は連載に向いていないのではないかという気もする。通して読むと面白いんだけど。とりあえず僕は面白かったので『別式』全巻買ってからこの文章を書いています。次は『変ゼミ』を読むことを勧められているので、そちらも読もうと思います。

 

 

あと関係ないけど昨年のcomputer fightのライブ動画です。5月にレコ発自主企画ライブやるので良かったら来てね。

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