実験4号

生きのばしていく

おれは本当に全知になりたかったか?

 1週間前に文章を書いたので読み直している。

 

kkmgn.hatenablog.com

 この文章はできる限り理屈を通そうとして書いているのだが、そのために、というわけでもないが、誇張している部分があるな~と思う。人間の感情というものが完全に理屈が通るわけはない。今日見た岡田斗司夫の動画でもそんな事を言っていた。以下は書き散らし。

 

 自分はすべての他者が嫌いだ、というのはそんなに正しくない。これの考えは、学校とか職場に行くとたくさん人がいて、それだけでプレッシャーがあってきついというのを自分がずっと思ってきたから、「もしかして自分は他者が嫌いなのでは?」と考え、そういうことにすると話が早いからそう嘯いている、というところがある。いわゆる「他者と交流するだけで心のMPが減っていく」というやつだが、これ自体は別に珍しいものじゃないだろうし、これを世界からの疎外感と結びつけるのはちょっとこじつけだと思う。

 

 世界からの疎外感というのは、まああるにはあるんだけど、それでも一応学校でいじめられたりはしなかったし(勉強できたのが大きかった気もする)、大学のバンドサークルでもある程度人と交流をしていたし(バンドなんて実に社会的な行動だ)、職場も現時点ではクビになってない。まあ一人前の社員として信頼されてはいないと思うが、よほど社会構造が変化して会社の経営が傾かない限りはしがみつくことくらいはできるだろうと思う。他の社員の人と仕事上差し支えないくらいのコミュニケーションはとれている。これで「自分には所属というものが全然できないのだ」というにはちょっと無理があると思う。

 

 どちらかというと問題があるのは安心を求めすぎる自分の性格の方だ。毛皮のマリーズは「希望不安定 さらば安定」と『ジャーニー』という歌の中で歌ったが、自分はその正反対だ。この歌詞は「完全な安定なんてない」というのを前提として、じゃあどうするか、のかなり先のスタンスの話をしていると解釈しているけど、自分はそもそも完全な安定を求めるところでストップしてしまっている。なぜ安定を求めるのか。「自分はどこででもやっていける」という自信がないからだ。なぜそんな自信がいるのか。貧乏が怖いからだ。なぜ貧乏が怖いか。住む家がないのが怖いからだ。温かい布団がないのか嫌だからだ。そして今までそのような状況に陥ったことがないからだ。そういう意味では潔癖なんだと思うし、甘っちょろいお坊ちゃんなのだとも思う。でもそれが自分にとっての普通だったし、わざわざ今から貧乏になりに行くのも違う気がする(そもそも今から本当の貧乏になることができるだろうか)。貧困に関して勉強したほうが良さそうだな。

 

 新しい交友関係ができないのは、「自分のことを嫌いな人」と話をしたくないからだ。それで自分のことを嫌いになりそうな人とは深く交流しないようにしているが、「自分のことを嫌いになりそうな人」を広く取りすぎてしまっているような気もする。これは自分が他者が嫌だからというのが背景にあると思う。人は結局自分の考えを他人に仮定して物事を考えてしまいがちだが、一般的には人はそこまで他者のことを圧に感じたりしないし、気にしないというのが正しい、だからもうちょっと「自分のことを嫌いになりそうな人」は狭くとって良い、と頭では考えている。

 

 「自分の家の庭の芝生が最も青く見える」という性格なのだが、結構得していると思う。人を羨むということがあまりないのはいいことだ(というある種の「賢さ」を自分が持っているということに酔っているという考え方もできるが…)。

 

 全知に憧れる、というのも極端な言い方だ。そういう性質がないとは言わないが、自分のことを賢いとちやほやしてくれる賢い人達が自分の周囲にいっぱいいたら、もうそれで十分になってしまうかもしれない。いや周囲にいる人はみんなそれぞれに賢いな~と思っているが。ちやほやされることには憧れがあるが、無い物ねだりしてもどうにもならないので、やることをやっていこう以外に思うことはない。

 

 こんな文章は非公開の日記にでも書けよという気もするが、「公開」することで一区切りできて、後から冷静に読み返せるので、これもありだなと思う。日記には日記ぽいこと書くし。たまにしか書かないけど。何れにせよ自慰行為は気持ちがいいですね。

おれは全知になりたかった

 たまに自分の過去の文章見ると、「文章下手だな~こいつ」と思うが、その内容自体は自分にとってとても面白いのでまた自分のための文章を書く。自分と世界の関わり方というものについて、他人がどのように考えているのかはよくわからないながらも関心はあって、でもそれを他人に尋ねる際に自分がどう考えているかということをちゃんと説明できないと不便だなという動機でこの文章を書く。

 

 小学生の頃、自分は公立小学校に通っていて「塾とか行ってないし受験とかしないのに受験組以上に勉強できるおれ!」という自意識を持っていた。その時ちょうど小川洋子博士の愛した数式」がベストセラーになってて、自分は特に算数が得意だったこともあってかその本を手にとったらしい。この小説は、記憶を日をまたいで保持できない元数学者の「博士」と、小学生の主人公の交流を描いたものだった。そして、抽象の一つの極である「数」というものの織りなす世界の中に、奇妙でいてしかし綺麗でもある「法則」が存在していることが描写されていた。自分はそれでちょっと数学というものに興味を持ち出して、数検を受けてみたり、小学生向けに描かれた数学に関する本を何冊か読んだりした。そこで自分が思ったのは、「自分がどうあるかということには一切関係のない、『世界の法則』というものが存在するらしい」ということ、そして「そのような法則や秩序とともに生きるという事はなんだか安らかなことなような気がする」ということだった。このまま勉強を続けていってどんどん全知の存在に近づくことができれば、心安らかに生きれるような気がした。当時の「将来の夢」は「数学の研究者」だった。

 

 状況が変わってきたのは高校生のことだ。それなりの公立進学校に入学した自分は新入生入学テストなるもので数学で70点くらいをとった。まだ授業で習っていない部分もテスト範囲に含まれているのが意味がよくわからず、あまり勉強をせずに臨んだ結果がそれだったのだが、クラスメイトのほとんどがきちんと予習をして100点満点をとっていて、正直たまげたのであった。知らない公式の問題が解けるわけがないのはそうだが、どうにも自分は数学・計算の基本操作において特に天才性を持っていないのだな、ということをそこで認識した。「それなりの公立進学校」あるあるで「入学直後が一番学力が高い」というのがあり、結局100点をとっていたクラスメイトのほとんどはすぐに自分よりも成績を落としていたが、その認識自体は変わることがなかった。ごく少数だが自分よりも遥かに数学に詳しく、受験数学以上のレベルを自主的に勉強している者もいた。集団内でのアイデンティティ獲得の手段、つまり「おれは周りよりも知能が高くかっこいい」となるための方法として、数学はもう使うことができなかった。小学生の頃持っていた高い志を思い返せばそんなことは別にどうでもいいことのはずだが、自分はその時数学に対するこだわりをなくしたのだった。

 

 一方で今度は歴史を学ぶことに強い関心を抱いた。世界史の授業では、ギリシャ地中海世界の異常な発展性に目を剥き、連綿と続く中華王朝の悠遠さに感嘆し、イスラーム世界がかつて覇権を握っていたという驚愕の事実にひっくり返った。授業で得られる知識が、自分の「世界」をどんどん広げてくれた。教師が熱弁を振るうたびに全身が泡立つ心地がした。教科書と資料集のページを捲るたびに物事の見方が変わって、解像度が高くなっていった。かつて小学生の時に数学を知ったときに認識した、『世界の法則』をそこで再び感じることができた。できれば、その『世界の法則』についてもっと知りたい、触れていたいと思った。ただ、その時点で自分よりも歴史に強い関心を持って研究者になることを目指している同級生がいたから、数学のときのように研究者を目指す気持ちはあまりなかった、いや、自信がでなかった。そこで、勉強しながら働くためにはどうすればいいか、ということを考えた結果、歴史の教師になるのはありかもしれないとは思った。でもなれるものならば研究者になりたかった。

 

 そんな保険含みの将来の展望は大学入学後に粉々に砕け散った。まず、長い文章を読めない。元から現代文が得意ではなかったが、論文が読めないのは研究者として致命的だ。また、文章を書くのも苦手だった。たった2000字のレポートを書くために何回も徹夜をするはめになり、レポート課題が大嫌いになった。そして、研究者として生きるためには、研究のテーマをできる限りニッチに攻めていく必要があると知った。自分は大学受験レベルの解像度の「世界史」にはとても関心があったが、「満州帝国内部における満洲の人々と五族協和の内実」だとか、「開明派の司法官僚として知られるセルヴァンの習俗論を読んでアンシャン・レジームの基礎概念を理解する」だとか、そういう細かい内容だけで90分~半年もかけるというのは、とても自分にはできなかった。授業の時点でそうなのだから、研究者として生きるなぞ夢のまた夢であった。だから、大学では自分は完全に落伍者だった。なんとか卒業と教員免許取得のための単位を確保するだけで精一杯だった。そんな自分を嫌悪して精神を病み、大学の保健センターで精神薬なんだか胃薬なんだかよくわからない薬をもらって、毎日正体のない胸の苦しみにうなされ、死にたいと漏らしながら寝れない夜を過ごした。

 

 たかだか勉強に落ちこぼれた程度で大袈裟な話ではある。実際、自分でも「勉強ができない側」の立場を知る経験は、将来教師になるのであれば大切な経験になるだろうと考えたりもした。だが、自分にとっては「学問」ができないというのは、『世界の法則』、あの奇妙で美しい秩序の体系にアクセスする資格がないということを意味していた。それは、自分と世界と関わりにおける大きな拠り所を失うことであり、心安らかな人生への道が絶たれたように自分には思われた。それはある種の失恋のようなものだった(生まれてこの方大した恋愛経験などないが)。

 

 小さい頃から、なんとなく周囲とずれているような感覚があった。学校、部活動、教会の青年会(実家がクリスチャンなのでそういう共同体に所属していた)、家族…どの共同体も、自分はそこに入りきれないように感じられた。そして「このままでは将来、どこかできっと躓くぞ」そういう強迫観念に追われていた。だから、できる限り「優しい普通の人」を演じるように努力した。それは大学生くらいにはそこそこできるようになった気もしているが、それでも世界全体から爪弾きにされているような感覚がずっとあった。だから、自分は世界に参入することは諦め、俯瞰することで心の安寧を保とうとした。俯瞰の立場であれば、その世界に属する必要はないし、優越感を保つこともできるからだ。そのために『世界の法則』を知ることはとても大切であった。それは世界の外にあるもの、もしくは世界の外から見えるものだからだ。だから全知になりたがった。それは人間という有限存在では不可能であることは認識していたが、それに極限まで近づこうとする生き方ができればそれで十分だと考えた。しかし、結局大学で挫折したことで、その極限まで近づくという行為すら自分には許されないということを思い知らされた。自分は自分を疎外する世界の「中」で生きていかざるをえなくなった。

 

 今、自分が漫画や読書、音楽、勉強をやっているのは、かつて『世界の法則』へ手を伸ばそうとしていたことの名残とも言える。「中」で生きる上でそんなことをしていてもあまり意味はないのだが、爪弾きされたものとしては、そういうことをしていないとこの世界は生きていくには厳しすぎるのだ。20年培ってきた処世術でなんとか今の所会社員をやれているが、いつまでやっていけるだろうか。最早年下が社会人として立派に成長(それがどういうことかはいまいちよくわかっていないのだが)したりしている中、自分は障害者手帳片手に朝定時に会社に行けない言い訳を考えるので精一杯だ。

 

 全ての他者は嫌いだ。自分を疎外する世界の端末みたいなものだから。その前提の上で、自分にも付き合いのある友人がいる。みなどこか世界から疎外されたような雰囲気を纏っているから、自分でも共感ができることを言ってくれる。ただし、そこに共同体はない。自分は今でもどこにも属せていない。ただ単にともに疎外されているだけだ。単なる似た者同士。でもそれで十分であるし、とても有り難いことだと考えている。

 

 けれども恋愛や新しい友人作りについては今の自分の交友関係の外に出る必要があるし、それは他者の存在を許せるようにならない限りどうにもならんだろうなあとも思っている。他人にとって自分は必然ではないし、自分にとってどの他人も必然ではない。それは別にいい。そういうものだとわかっている。「無条件にお互いを必要とし合う」というのが要件。ただ、そこに至るまで、魅力のない自分は努力をする必要があるし、その努力の内容が「自分を嫌っている存在に好かれようとする」なのだから、余裕のない自分にやれるものではない。いや、「自分を嫌っている」と言うより「自分が嫌っている」なのだろうが、いずれにせよ精神衛生に悪い。

 

 本当は『世界の法則』に手を伸ばすのだって、色んな人と一緒にやるほうが効率がいいのだ。仲間や恋人や、とにかくいろんなバリエーションの人間関係があったほうがいいのだと思う。自分にそれはできないけれど。今ある関係性の中でやれることをやっていく。ベースを練習する。本や漫画を読んで人と話して文章を書いて言語化する。やっていきましょう。

「わかる」という快楽とパターン認識と複雑系について

 

 最近友人のグッドゴリラ氏と「漫画についてつらつらと駄弁る」というだけのコンセプトのポッドキャストを始めた(下記リンク参照。興味があったら聞いてみてね)。そこで話題に出て興味深かったのが、「マンガは何を読んでも一定の面白さがある」ということだった。これは彼に好きな漫画を聴いたところ「マンガは何でも好き」というので、いやそんなことはありえない、人間には価値観というものがあるから嫌いなものが必ずあると反駁したところ、グッドゴリラ氏曰く「そもそも漫画を読むという行為自体に面白さが内在している気がするんだよね」ということだった。これは一体どういうことだろうか。

 

anchor.fm

 

 自分が考えたのは「マンガというのはわからせる力が強い表現形式であるが故に、比較的に快楽を生み出しやすい傾向にある」ということだ。この結論の前提には、「わかる」というのは、実際の読解の理解度の程度とは独立して発生するただの「気持ち」であるということがある。全然わかってないのにわかったような気持ちになる、ということはいくらでも発生しうる。そして重要なのは、この「わかる」という気持ちはどちらかというと「快」の感情に紐付いている。マンガは文字、絵、コマ割り、擬音など、様々な方面でストーリーを展開していくから、1ページあたりの説明量が多く、「わかりやすい」。だから「漫画というだけで楽しい」という事はある意味で自然な感覚である。「マンガでわかる◯◯◯」シリーズがウケるのも納得だ。

 

 ところで、「わかる」という気持ちは「快」の感情に結びついているが、実際の読解の理解度とは無関係だ。だから、「わかるという感情を抱くこと」自体は別にポジティブな現象とは言い切れない。全然誤解しているのに「わかった」つもりになっていても(まあ一人で楽しんでいる分にはいいのだが)、他者と意見のやりとりをすれば自分の認識の矛盾や誤謬に気づくこととなり、自分の構築した理解は崩壊してしまうだろう。逆に、「わからない」というのは苦しい状態であるが、これは却ってさらなる理解につながることもある。「わからない」というのは自分がわかってないということを認めているという状態であり、さらなる理解への志向を生み出す姿勢を作るからだ。(というのは先日読書猿氏の「独学大全」をパラッと読んで思ったことだ)

 

 

 ちなみに、「わかる」という言葉を語源から考えていくと、「わかる」とは「わける」から来ているという。ここから、「わかる」とは「パターンに分類して認識すること」であるとも言えるかもしれない。

分かる・解る・判る(わかる) - 語源由来辞典

 

 さて、以前ピエール手塚氏が言っていたが(引用元は忘れた)、「人はパターンを認識できるようになると面白さを感じ、パターンを読めないと面白くないと感じる」「しかしパターンを完全に読み切ってしまうと今度は飽きてしまう」そうだ。確かにこれは自分の経験則的には正しいように感じる。しかし、「飽きられない作品」というのも存在しているような気がする。これはどのようなものだろうか?

 

 ここで一つの例を取り上げる。自分の友人でMy Bloody Valentineの「Loveless」を1年に百回以上聴いている人がいるのだが、彼が言うには「何回聴いても飽きない。必ず気持ちいい」とのことだ。MBV自体、シューゲイザーというジャンルに分類される音楽であり、これはロックのジャンルの中でもかなりリフレイン(繰り返し)を基調としたスタイルを持つ。それを何百回と聴いて飽きないのはなぜだろうか?思うに、それは多分「聞くたびに新しい発見がある」ということなのだろう。これは作品を享受する側の技術の問題でもあって、例えば「コードワーク」「ベースライン」「ピッキングのタッチ」「男女ボーカルのバランス」「ギターの多重レコーディング」など、毎回アルバムを聴く際に着目するポイントを変えていけば飽きのスピードは遅いだろうし、更にこれらを複数組み合わせればさらに飽きづらくなるだろう。このように、飽きられない作品というのは、インスタントなわかりやすさだけにとどまらず、一つの複雑系を構築していて、摂取するたびに新しい発見がありまたわからない点が生まれる、そしてそれを繰り返す、そのような作品が該当するのだろう。

  


My Bloody Valentine | Loveless | Full Album (Remastered)

 

 では逆に一切パターンがない、もしくはパターンを認識できない表現について考えてみよう。アルゼンチンの作曲家でMono Fontanaという人がいるのだが、この人の作品「Ciruelo」には繰り返しのフレーズが殆どない(多分)。ではその音楽性は常に刺激に溢れ、飽きとは程遠いものと言えるだろうか?その答えとしては、「飽きる以前に良さを認識できなくなる」。繰り返しがないということは、展開的には常に驚きがある作品なのだが、それはしかし逆に言えば「驚きしかない作品」でもある。「驚き」は「すべての感情の源泉である(確かデカルトが言ってた)」が、この作品に於いては驚きだけで鑑賞体験が埋められてしまっており、驚き→感情という流れが発生する前に次の驚きが来てしまうので、良さを認識できない。要するに驚き疲れてしまうのだ。もちろんこれは作品を享受する側にも要因がある話だ。この作品を楽しんで聞ける人もいるのだろう。だが、自分にはそれをどうやってやっているのかは最早わからない。

 


Mono Fontana - Ciruelo (full album)

 

 このように、強いエンターテイメント体験は、ある程度パターンに落とし込み鑑賞者の「わかる」の感情を励起し、しかし飽きられないような複雑さを盛り込む、そういうギリギリのバランスのもとで成り立っている。そしてこの点から見ても「漫画を読む行為に面白さが内在している」は正しい。漫画はコマ割りなど一定のパターンを持つ表現形式であるからだ。だが、あくまで表現形式の一つでしかないのだから、その形式の生み出す「わかる」の快楽だけで作品の評価を終わらせてはいけない。それは多くの偉大なる漫画家たちが行っている創意工夫を無に帰してしまう行いだ。「わかる」の快楽の落とし穴はここにあると言えよう。わかって気持ちいいからこそ、作品を正当に評価できなってしまうのだ。

 

 …疲れたのでここまでにします、最後に宣伝をすると自分のやっているバンドpanpasgumiで最近シングル「感じ」を出したので良ければ聞いてください。

 

 あとcomputer fightってバンドも活動してます。こちらはハードコア?なのか?なんかblack midiみたいとか言われたこともありますが。1/29に渋谷でライブやるので良かったら来てください。こちらは中止になりました、悲しいね。以下は昨年のライブの様子。

www.youtube.com

 

 それでは皆様2021年も良い一年をやっていきましょう。

 

感想にパーソナリティーを込めることについて

 最近こんな記事を読んで興味深いと思った。

anond.hatelabo.jp

 

 主張の内容の是非は一旦措いておいても、良いリズム感の文章だと思う。大して長くもないし簡潔にまとまっているので、ひとまず読んでみるといいと思う。

 この記事の主張はまとめるとこういうことだ。

 

 ・SNS世代にとって、作品に対する感想というものはSNS上の他人が代替して述べるもので、各人はそれを取り込んでいくだけ。

 ・SNS世代には自分で作品の評価を決める能力がない。感想を考える必要がない。

 ・「単独で感想を抱ける人間」は特別な存在となっていき、時代の先導者となりうるポテンシャルがある。(←これは面白い発想だと思ったが今回の主題ではないので措いておく)

 

 さて、この記事の主張については同意する点と反論したい点がある。

 

 同意する点というのは、SNS上にある作品に対する感想を内面化する現象、これがもうすでに発生しているということだ。実際、自分も映画などを見たときについTwitterの感想を見てしまい、しっくりくるものがあるとそれを自分の中に取り込んだりしてしまっているような気がする。(もちろんできるだけそうならないように気をつけてはいるが。)漫画についても、作品の更新に対するTLの反応が先に目に入り、それから実際に読む、という流れになることが多いので、その時点で色眼鏡をかけた状態になってしまっているかもしれない。

 

 反論したい点というのは、「感想というものは一部の選ばれた人間だけができる・するようになる」ということだ。以下は「感想とはなにか?」ということを考えた際の僕の意見だ。

 

 記事の筆者はわからないが、世間一般には「感想というものは作品を鑑賞した際に、自然と心に浮かんでくるものである」という前提があると思う。だが、おそらくそれは間違いだ。もちろん作品と相対したときは、人間誰もが何かしら感情を動かされる部分があるだろう。だが、それを感想という形で言語化して出力するためには、きちんとそれ用の技術を用いる必要がある。ここでいう技術は、訓練された、あるいは才能のある一部の人間だけが使用できるものではなく、誰にでも開かれていて誰でも使うことのできるものだ。とはいえ、この技術を使わないことには感想は出てこない。これを自覚すべきであろう。

 

 技術の具体的な一例はこうだ。「もし自分が(作中の登場人物)だったら?」を想像する。「自分だったら別の行動をとっていただろう」、結構である。「完全に感情移入してしまった」、もちろん結構である(この場合鑑賞者の思想が作品に完全に表現されてしまっているので言語化は難しいかもしれない)。「心の動きは理解できるが、今の自分はこういう考え方もできるから、その時同じように動くかはわからない」、実に結構である。この方式では常に「自分」というものが入り込む。したがって必ずオリジナリティのあるリアクションが出てくるはずだ。(もちろん言語表現のレベルでは被ってしまうこともあるだろうが)そのリアクションがエンターテイメント的な価値を持つとは全く限らないが、少なくとも「自分なりの感想」というやつは出力できる。

 

 このとき、感想を言う、という行為は作品に対して対等な立場で行う行為であると言える。ところで、感想とは別に、作品に対して行う似た行為として「批評」がある。こちらは、「作品に対してひとつ上の立場から、ある価値観に於いて評価する」という行為だ。ここで重要なのは「批評とはある価値観に於いて行うものである」ということであり、この価値観がぶれていると理論なき批評、すなわち印象批評という雑なものになってしまうのだ。(もちろん賢い人がやればそれでも面白いものになるだろうが・・・)(印象批評についてはググってください、おれもあんまり詳しくはない)

 

 話が逸れてしまった。

 

 さて、多くの人は自分がやっているのが「感想」なのか「批評」なのか、ということを全然区別していない。ちょっとここで厄介なのは、表出された言語表現からではそれが感想なのか批評なのかの区別がしづらいということだ。例えばある作品が良い、といった場合、「(ある価値観のもとで)良い」(=批評)なのか、「(鑑賞したことで自分の心がいい感じに動かされ)良い(体験だった)」(=感想)なのかはそれ単体では区別できない。もっと文脈を見る必要があるわけだが、喋っている側も特に感想と批評の区別がついているわけではないので、あまり細かく追及するのも野暮というかあんまり意味もないだろう。自分としては、感想と批評の区別をしっかり自分の中で区別をつけ、自分がこれからやろうとしているのはどちらなのかを自覚しておくことが重要であると考える。この区別をつけておくと「自分で作品の評価を考える」際の思考がクリアになると思う。

 

  自分個人としては、SNSが作品に対する感想を一手に引き受けてしまう状況は望ましくない。多様性というものを価値あるものと考えている自分としては、ある種のディストピアであると思う。(Twitterは好きだけどね)

 

 だから、漫画でも小説でも映画でもなんでもいい、作品を鑑賞する人は、頑張って「自分なりの」感想をどんどん出力していってほしい。もちろんそれが他人から見て面白いかどうか、ましてやバズるかどうかなんて僕は一切保証しない。ただ、感想というものは、作品と読者との間の共同作業の果てに生まれるものだから、あなた自身というものが入り込んでこそ価値あるものなのだ。皆さんの快適な文化生活を僕はネットの片隅から祈っている。

 

 ところで最近漫画の感想をやるPodcastを始めたので、関心がある方はぜひ冷やかしにでも作業用にでも聴いてみてほしい。(月1回程度更新)上記の感想論について現時点の自分が実践できているかはよくわからないが。

 

 

本当に雑記

 近所の健康ランド的なところに来て、今風呂上がりでぽやーっとしながらこの文章を書いている。ここはサウナと水風呂の設計がめちゃ良くて、まずサウナが広い。広いので混雑しててもあんまり不快なことにならない。視力が悪いので見れないが、テレビもある。そして水風呂。もともと自分はサウナ→水風呂の流れがダメな人で、「こんないきなり温度高い状態から冷水で急転直下させたら心臓麻痺とか起こすのでは」と水風呂の効用については完全に疑っていた。ていうか怖がっていた。が、ここの水風呂は適度に深さがあり、槽内部の階段を勢いのままに降りるともう体の大部分が水に浸かっており、気づいたときには全身が冷水でカッキーンと冷やされており、とまあ水風呂に慣れてなくとも入りやすい親切設計なのだ。まあ最初はスピード感がいる。スピードは大切。

 

 貯金が███.██円あり、今日はこれで仕事をやめたらどうなるかの計算をしていた。会社に勤めているとあまり意識しないが、社会保険料の負担は大きい。失業保険とかは一旦無視してみると、2年持たないだろう。

 かといって実家に帰るという選択肢はなく、というのも自分は「家に人がいる」という状況が嫌で一人暮らしをしているからだ。職場だって別にブラックではない、というか手当類は完全に出るし、かなり厳し目の36協定が敷かれているからむしろホワイトな方なのだと思う。嫌な人もあんまりいないし、全体的に雰囲気も緩い。でも職場には「人がいる」からめちゃめちゃ行きたくない。行きたくなさすぎて普通に遅刻とか良くするし、お腹も壊す。それで怒られたりはしないのも相当緩いが、行きたくないものは行きたくない。こんな緩い環境でやっていけないならば他のところはもっとダメなのではないか、とも思う。フリーランスとかはもっと人と接する必要があるのだろうから絶対無理な気がする。

 

 「人がいる」というのは自分にとってとても恐ろしいことだ。実家ぐらしのときは、朝起きて部屋の外から家族が起きて活動している雰囲気を感じると、もうそれがものすごい嫌で部屋から出ることができなかった。今でも、休日に人と会うという選択肢は、約束でもしていない限りほぼ取ることがない。ドトールコーヒーは席の間隔が非常に近いから入りたくない。ドラえもんの「どくさいスイッチ」にとても憧れがある(全人類を消す)。よく人混みが本当に嫌いという人がいるが、自分はそれなりに嫌だが心を無にしていればなんとかなる程度のものだ。人間嫌いにもいろいろあるということだろう。

 

 現実は嫌なので、虚構に逃げる。逃げ込める先を作ってくれた創作家たちには本当に頭が下がる。自分もなんかお話を考えてみようかと思うが、現代文の成績悪かったからなあ、とかどうでもいい理由をつけてまだ何もしていない。まあやりたい欲が高まったらそのときにやるだろう。そういえば筒井康隆展が今日までだったようだ。自分は1ヶ月ほど前に行ったが、「虚航船団」の生原稿はとても良かった。見た目だけでインパクトがある。最近会社の昼休憩で「巨船ベラス・レトラス」(サイン入り)を読んでいる。会社の中でも虚構世界に逃げ込める、そんな強度のある作家がいて本当に「有り難い」という気持ちだ。「いつか現実と向き合わなければならない」とか言う人もいるが、知ったことか。

 

 虚構に逃げる以外だと、旅行ということになる。誰も自分を知る人がいない、ということがいいのか、それはよくわからないが、GWにロシアの片田舎を訪れた際はとても解放された気分になった。宿泊施設などの社会サービスが受けられる場所を見つけられなかったのでそのときはまた近くの都市に逆戻りしたが。今度は北海道を鉄道で旅したい。路線も減っていっているようだし…

 

 ああ、面倒臭い、もう一度サウナ入ってこようかな。

 

 つづく

旅行記(二日目夕方~三日目朝)

その長距離列車のコンパートメントに乗り込むと、もう既に先客がいた。彼(壮年の男性)は極東欧の街の夕焼け空を、とはいってもその時はもう19時台も半ばを過ぎていたけれど、憂いを帯びた目付きで眺めていた。列車の中で酒を飲み明かす心積もりでいた僕と友人は、彼のその映画俳優のような佇まいに虚を突かれてしまい、黙って向かいの座席に腰を下ろして一緒に夕陽を見つめていた。

 
暫くの間そうしていると、旅のマナーだろうか、彼の方から話しかけてきた。が、こちらは彼の話す言語が分からず、自分たちも英語でコミュニケーションを試みたが、芳しくない結果に終わった。気まずい空気が流れ、彼は困ったな、とやはり俳優のように分かりやすく寂しげな顔をした。

 
そのまま3人でだんまりを決め込んでいたのだが、そのうち僕はその瞬間をなんとなく綺麗な時間だなと感じて、写真を撮りたいと思った。バックパックからほぼ新品のままの状態に近いガイドブックを取り出し、巻末の「お手軽現地語会話コーナー」と題された例文集を探した。すると「写真を撮ってもいいですか。」というまさにそのままの翻訳文を見つけたので、何度か頭の中で発音の練習をした後、意を決して彼に話しかけた。彼は驚いたようだが意図はどうやら伝わったらしく、曖昧な笑顔で肯定の意を示した。僕は現地語でありがとうとだけ言って廊下に立ち、コンパートメントの写真を撮るという建前で、彼を中心被写体として何度かシャッターを切った。

 

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時刻が8時を回ると、僕と友人は空腹を覚えてきたので貴重品だけ持って食堂車に出かけた。今思えば危機管理が雑なような気がしないでもないが、彼はずっと窓の外を見ていたそうにしていたので、大丈夫なように感じたのだった。

 

食堂車はどうやらかなり遠い車両にあったようで、行く途中でたくさんの車両を通り抜けた。自分たちと同じコンパートメントタイプの2等車両(妙に静かだった)、2人部屋の1等車両(車いす向けの部屋があった)、今度は構造が鏡写しのように逆になっている2等車両、多くの現地人がワイワイと過ごしている3等車両、乗務員用の個室、無限にお湯が湧き出る謎の装置(石炭を使っているらしい)、そういうのをいくつも通過して、はて、食堂車はこの列車にはついてないのかしら、と思ったあたりで豪奢な雰囲気の車両に到着した。食堂車だった。

 

ニシンのオイル漬けをビールでやっていると、いつのまにか同室の彼が別のテーブルに座っているのに気が付いた。あれっ、じゃあ今部屋は無人なのか、それくらいの警戒心で問題ないのか、とか考えたが、飯がうまかったのでなんだかどうでもよかったし、気が付いたらいつのまにか彼はいなくなっていた。彼は料理を何も頼んでいなかったような気がしたが、メニューの値段を見て食べるのをやめたのだろうか、まあちょっと高いよな、と無理に結論付けて僕は目の前のボルシチに集中した。すべての皿に執拗にマッシュポテトが添えられていたことと最後に出てきた魚のスープが異常に味が薄かったことを除けば、飯はとても良いものだった。「食堂車」というものの雰囲気に酔いつつ、うまいうまいと言って僕と友人は自分たちのコンパートメントに戻った。3等車両ではもうすでに就寝の準備を始めていた人もいた。

 

コンパートメントに戻ると、彼はおらず、代わりに若い男女のカップルが就寝の準備を始めていた。カップル?え?じゃあさっきの彼はこの部屋の人ではなかったのか?頭に疑問符を浮かべながら僕らもベッドメイクをし、歯を磨いて上のベッドで少しボーっとしていたら、カップルの女性の方が早々と何の断りもなく部屋の照明を落としてしまった。仕方なく暗闇の中でいそいそと寝巻を捜して着替え、やることもないのでそのまま横になった。全然眠れなかったが。

 

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そのままほとんど寝つけず、早朝になり、僕はコンパートメントを出て、音楽を聴きながら廊下の窓の外の風景を眺めていた。目に映るのは葉のすべて落ちた木々、荒涼とした沼地ばかりで、まばらに人家が見えることすらなく、完全に自然の風景だった。大陸とはそういうものかもしれんなと雑に思考しながら、ふと振り返るとあの「彼」がいて、僕と同じく窓の外の風景を見ていた。その時ふと、彼もおそらく僕と同じく車窓を眺めるのが好きな人種なのだろうと思った。それでもう良かった。退屈を愛する、穏やかな人種。

 

それから2,3時間ほどベッドの上でぼんやりしたり、音楽を聴いたり、荷物を整理したり、また廊下に出て外を眺めているうちに目的地に到着した。乗車時間は12時間ほどで、まだ早朝とも言ってよい時刻だったが、高緯度に位置する都市ゆえ、朝日は既に本調子気味で稼働していて、少し暑かった。寝不足で体がだるく、早くベッドに横になりたかった。

 

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駅前のロータリーでは、おそらく旧体制の頃から使用されているであろうトラム(路面電車)が軋んだ金属音を立てながらやってきて、幾ばくかの人を降ろしまた同じくらいの人数を積み込んで去って行った。電線から火花が散っていた。それを横目で見ながら、ホテルに向かった。ホテルではアーリーチェックインができるとの事だったので、フロントにその旨を頑張って伝えると、部屋の鍵を渡され、「まだ食べてないだろうから朝飯をサービスしてあげよう」的な事を言われたのだろうか、宿泊日数よりも1枚多い朝食券をもらった。

 

ホテルの冷えたバイキング形式の飯、というか黒パンを食べながら、このおおよそ活発とは言えない都市で数日退屈な日々を過ごすことになるだろうことを想像して、温かく柔らかい気持ちになった。いや、ただ単に眠いだけだったかもしれないが。食べ終わって部屋に戻ると、もう眠気の限界だった。まだ朝と十分言い張れる時間だったが、僕は友人にお休みを言ってベッドにもぐりこんだ。多分夢は見なかった。

 

春の雨

どうも、パンパスグミ(https://twitter.com/panpasgumi)というバンドでベースを弾いている実験と申します。

 

突然ですが、この世の中には僕にはよく分からない事でいっぱいです。

金木犀の匂いがどれだかわかりません。

スピッツの歌詞の凄さがわかりません。

「家に自分の帰りを待っている人がいると安心する」という気持ちがわからな過ぎて、そういう奴は全員気狂いだと思います。

分からない事だらけのはずの世の中で分かったような面して生きている人は全員白痴ですか?早く良くなるといいですね。

 

そんなことを日々思っている私ですが、最近大切な存在が出来ました。

「ピーヤング 春雨」です。 

まるか商事 ピーヤング春雨 66g×18個

まるか商事 ピーヤング春雨 66g×18個

 

名前から分かる通り、ぺヤングカップ焼きそばのまるか食品㈱の商品です。簡単に言うとカップ焼きそばの麺を春雨に置き換えたものです。

 

コンビニでこの商品を初めて見つけた時、自分の中の春雨に対する様々な思いが滾々と湧き上がりました。

まだ体の到る所に毛の生えていなかった少年時代、家族で水炊き鍋をやる時に必ず入っていた春雨がおいしくてがっついていたこと。

夕食に麻婆春雨が出てくる頻度が下がり、「春雨を買うお金がないのかな」と家計が心配になったこと。

中学生くらいの頃、初めてコンビニで夜食を買いに行った時、麻婆春雨が売っていて即購入したこと。

大学の生協に陳列されていたカップ春雨の物足りなさに、袖を涙で濡らしたこと。

フラッシュバックする記憶の流れの中で、気が付けばビニール袋を該当商品でパンパンに膨らませて自宅の玄関に立ち尽くす自分。はは。

 

 

その後の事は良く覚えていません。ただ、気が付けば口の中の皮が火傷でズルズルになっていて、 机の上には空のカップが散らかっていて、それを見て奇妙な充足感とともに眠りに落ちた私は、翌日普通に仕事に遅刻しました。「家でお腹が痛くなっちゃって」との私の曖昧な言い訳を、曖昧な表情で聞き流す上司。曖昧な製品を作る会社で、曖昧な書類を右から左へ流すだけの業務。人間性を緩慢にしかし確実に奪っていく労働の中で、ただ昨日のカップ春雨の感触だけが本物の輝きを放っていた。