実験4号

生きのばしていく

感想にパーソナリティーを込めることについて

 最近こんな記事を読んで興味深いと思った。

anond.hatelabo.jp

 

 主張の内容の是非は一旦措いておいても、良いリズム感の文章だと思う。大して長くもないし簡潔にまとまっているので、ひとまず読んでみるといいと思う。

 この記事の主張はまとめるとこういうことだ。

 

 ・SNS世代にとって、作品に対する感想というものはSNS上の他人が代替して述べるもので、各人はそれを取り込んでいくだけ。

 ・SNS世代には自分で作品の評価を決める能力がない。感想を考える必要がない。

 ・「単独で感想を抱ける人間」は特別な存在となっていき、時代の先導者となりうるポテンシャルがある。(←これは面白い発想だと思ったが今回の主題ではないので措いておく)

 

 さて、この記事の主張については同意する点と反論したい点がある。

 

 同意する点というのは、SNS上にある作品に対する感想を内面化する現象、これがもうすでに発生しているということだ。実際、自分も映画などを見たときについTwitterの感想を見てしまい、しっくりくるものがあるとそれを自分の中に取り込んだりしてしまっているような気がする。(もちろんできるだけそうならないように気をつけてはいるが。)漫画についても、作品の更新に対するTLの反応が先に目に入り、それから実際に読む、という流れになることが多いので、その時点で色眼鏡をかけた状態になってしまっているかもしれない。

 

 反論したい点というのは、「感想というものは一部の選ばれた人間だけができる・するようになる」ということだ。以下は「感想とはなにか?」ということを考えた際の僕の意見だ。

 

 記事の筆者はわからないが、世間一般には「感想というものは作品を鑑賞した際に、自然と心に浮かんでくるものである」という前提があると思う。だが、おそらくそれは間違いだ。もちろん作品と相対したときは、人間誰もが何かしら感情を動かされる部分があるだろう。だが、それを感想という形で言語化して出力するためには、きちんとそれ用の技術を用いる必要がある。ここでいう技術は、訓練された、あるいは才能のある一部の人間だけが使用できるものではなく、誰にでも開かれていて誰でも使うことのできるものだ。とはいえ、この技術を使わないことには感想は出てこない。これを自覚すべきであろう。

 

 技術の具体的な一例はこうだ。「もし自分が(作中の登場人物)だったら?」を想像する。「自分だったら別の行動をとっていただろう」、結構である。「完全に感情移入してしまった」、もちろん結構である(この場合鑑賞者の思想が作品に完全に表現されてしまっているので言語化は難しいかもしれない)。「心の動きは理解できるが、今の自分はこういう考え方もできるから、その時同じように動くかはわからない」、実に結構である。この方式では常に「自分」というものが入り込む。したがって必ずオリジナリティのあるリアクションが出てくるはずだ。(もちろん言語表現のレベルでは被ってしまうこともあるだろうが)そのリアクションがエンターテイメント的な価値を持つとは全く限らないが、少なくとも「自分なりの感想」というやつは出力できる。

 

 このとき、感想を言う、という行為は作品に対して対等な立場で行う行為であると言える。ところで、感想とは別に、作品に対して行う似た行為として「批評」がある。こちらは、「作品に対してひとつ上の立場から、ある価値観に於いて評価する」という行為だ。ここで重要なのは「批評とはある価値観に於いて行うものである」ということであり、この価値観がぶれていると理論なき批評、すなわち印象批評という雑なものになってしまうのだ。(もちろん賢い人がやればそれでも面白いものになるだろうが・・・)(印象批評についてはググってください、おれもあんまり詳しくはない)

 

 話が逸れてしまった。

 

 さて、多くの人は自分がやっているのが「感想」なのか「批評」なのか、ということを全然区別していない。ちょっとここで厄介なのは、表出された言語表現からではそれが感想なのか批評なのかの区別がしづらいということだ。例えばある作品が良い、といった場合、「(ある価値観のもとで)良い」(=批評)なのか、「(鑑賞したことで自分の心がいい感じに動かされ)良い(体験だった)」(=感想)なのかはそれ単体では区別できない。もっと文脈を見る必要があるわけだが、喋っている側も特に感想と批評の区別がついているわけではないので、あまり細かく追及するのも野暮というかあんまり意味もないだろう。自分としては、感想と批評の区別をしっかり自分の中で区別をつけ、自分がこれからやろうとしているのはどちらなのかを自覚しておくことが重要であると考える。この区別をつけておくと「自分で作品の評価を考える」際の思考がクリアになると思う。

 

  自分個人としては、SNSが作品に対する感想を一手に引き受けてしまう状況は望ましくない。多様性というものを価値あるものと考えている自分としては、ある種のディストピアであると思う。(Twitterは好きだけどね)

 

 だから、漫画でも小説でも映画でもなんでもいい、作品を鑑賞する人は、頑張って「自分なりの」感想をどんどん出力していってほしい。もちろんそれが他人から見て面白いかどうか、ましてやバズるかどうかなんて僕は一切保証しない。ただ、感想というものは、作品と読者との間の共同作業の果てに生まれるものだから、あなた自身というものが入り込んでこそ価値あるものなのだ。皆さんの快適な文化生活を僕はネットの片隅から祈っている。

 

 ところで最近漫画の感想をやるPodcastを始めたので、関心がある方はぜひ冷やかしにでも作業用にでも聴いてみてほしい。(月1回程度更新)上記の感想論について現時点の自分が実践できているかはよくわからないが。