実験4号

生きのばしていく

おれは全知になりたかった

 たまに自分の過去の文章見ると、「文章下手だな~こいつ」と思うが、その内容自体は自分にとってとても面白いのでまた自分のための文章を書く。自分と世界の関わり方というものについて、他人がどのように考えているのかはよくわからないながらも関心はあって、でもそれを他人に尋ねる際に自分がどう考えているかということをちゃんと説明できないと不便だなという動機でこの文章を書く。

 

 小学生の頃、自分は公立小学校に通っていて「塾とか行ってないし受験とかしないのに受験組以上に勉強できるおれ!」という自意識を持っていた。その時ちょうど小川洋子博士の愛した数式」がベストセラーになってて、自分は特に算数が得意だったこともあってかその本を手にとったらしい。この小説は、記憶を日をまたいで保持できない元数学者の「博士」と、小学生の主人公の交流を描いたものだった。そして、抽象の一つの極である「数」というものの織りなす世界の中に、奇妙でいてしかし綺麗でもある「法則」が存在していることが描写されていた。自分はそれでちょっと数学というものに興味を持ち出して、数検を受けてみたり、小学生向けに描かれた数学に関する本を何冊か読んだりした。そこで自分が思ったのは、「自分がどうあるかということには一切関係のない、『世界の法則』というものが存在するらしい」ということ、そして「そのような法則や秩序とともに生きるという事はなんだか安らかなことなような気がする」ということだった。このまま勉強を続けていってどんどん全知の存在に近づくことができれば、心安らかに生きれるような気がした。当時の「将来の夢」は「数学の研究者」だった。

 

 状況が変わってきたのは高校生のことだ。それなりの公立進学校に入学した自分は新入生入学テストなるもので数学で70点くらいをとった。まだ授業で習っていない部分もテスト範囲に含まれているのが意味がよくわからず、あまり勉強をせずに臨んだ結果がそれだったのだが、クラスメイトのほとんどがきちんと予習をして100点満点をとっていて、正直たまげたのであった。知らない公式の問題が解けるわけがないのはそうだが、どうにも自分は数学・計算の基本操作において特に天才性を持っていないのだな、ということをそこで認識した。「それなりの公立進学校」あるあるで「入学直後が一番学力が高い」というのがあり、結局100点をとっていたクラスメイトのほとんどはすぐに自分よりも成績を落としていたが、その認識自体は変わることがなかった。ごく少数だが自分よりも遥かに数学に詳しく、受験数学以上のレベルを自主的に勉強している者もいた。集団内でのアイデンティティ獲得の手段、つまり「おれは周りよりも知能が高くかっこいい」となるための方法として、数学はもう使うことができなかった。小学生の頃持っていた高い志を思い返せばそんなことは別にどうでもいいことのはずだが、自分はその時数学に対するこだわりをなくしたのだった。

 

 一方で今度は歴史を学ぶことに強い関心を抱いた。世界史の授業では、ギリシャ地中海世界の異常な発展性に目を剥き、連綿と続く中華王朝の悠遠さに感嘆し、イスラーム世界がかつて覇権を握っていたという驚愕の事実にひっくり返った。授業で得られる知識が、自分の「世界」をどんどん広げてくれた。教師が熱弁を振るうたびに全身が泡立つ心地がした。教科書と資料集のページを捲るたびに物事の見方が変わって、解像度が高くなっていった。かつて小学生の時に数学を知ったときに認識した、『世界の法則』をそこで再び感じることができた。できれば、その『世界の法則』についてもっと知りたい、触れていたいと思った。ただ、その時点で自分よりも歴史に強い関心を持って研究者になることを目指している同級生がいたから、数学のときのように研究者を目指す気持ちはあまりなかった、いや、自信がでなかった。そこで、勉強しながら働くためにはどうすればいいか、ということを考えた結果、歴史の教師になるのはありかもしれないとは思った。でもなれるものならば研究者になりたかった。

 

 そんな保険含みの将来の展望は大学入学後に粉々に砕け散った。まず、長い文章を読めない。元から現代文が得意ではなかったが、論文が読めないのは研究者として致命的だ。また、文章を書くのも苦手だった。たった2000字のレポートを書くために何回も徹夜をするはめになり、レポート課題が大嫌いになった。そして、研究者として生きるためには、研究のテーマをできる限りニッチに攻めていく必要があると知った。自分は大学受験レベルの解像度の「世界史」にはとても関心があったが、「満州帝国内部における満洲の人々と五族協和の内実」だとか、「開明派の司法官僚として知られるセルヴァンの習俗論を読んでアンシャン・レジームの基礎概念を理解する」だとか、そういう細かい内容だけで90分~半年もかけるというのは、とても自分にはできなかった。授業の時点でそうなのだから、研究者として生きるなぞ夢のまた夢であった。だから、大学では自分は完全に落伍者だった。なんとか卒業と教員免許取得のための単位を確保するだけで精一杯だった。そんな自分を嫌悪して精神を病み、大学の保健センターで精神薬なんだか胃薬なんだかよくわからない薬をもらって、毎日正体のない胸の苦しみにうなされ、死にたいと漏らしながら寝れない夜を過ごした。

 

 たかだか勉強に落ちこぼれた程度で大袈裟な話ではある。実際、自分でも「勉強ができない側」の立場を知る経験は、将来教師になるのであれば大切な経験になるだろうと考えたりもした。だが、自分にとっては「学問」ができないというのは、『世界の法則』、あの奇妙で美しい秩序の体系にアクセスする資格がないということを意味していた。それは、自分と世界と関わりにおける大きな拠り所を失うことであり、心安らかな人生への道が絶たれたように自分には思われた。それはある種の失恋のようなものだった(生まれてこの方大した恋愛経験などないが)。

 

 小さい頃から、なんとなく周囲とずれているような感覚があった。学校、部活動、教会の青年会(実家がクリスチャンなのでそういう共同体に所属していた)、家族…どの共同体も、自分はそこに入りきれないように感じられた。そして「このままでは将来、どこかできっと躓くぞ」そういう強迫観念に追われていた。だから、できる限り「優しい普通の人」を演じるように努力した。それは大学生くらいにはそこそこできるようになった気もしているが、それでも世界全体から爪弾きにされているような感覚がずっとあった。だから、自分は世界に参入することは諦め、俯瞰することで心の安寧を保とうとした。俯瞰の立場であれば、その世界に属する必要はないし、優越感を保つこともできるからだ。そのために『世界の法則』を知ることはとても大切であった。それは世界の外にあるもの、もしくは世界の外から見えるものだからだ。だから全知になりたがった。それは人間という有限存在では不可能であることは認識していたが、それに極限まで近づこうとする生き方ができればそれで十分だと考えた。しかし、結局大学で挫折したことで、その極限まで近づくという行為すら自分には許されないということを思い知らされた。自分は自分を疎外する世界の「中」で生きていかざるをえなくなった。

 

 今、自分が漫画や読書、音楽、勉強をやっているのは、かつて『世界の法則』へ手を伸ばそうとしていたことの名残とも言える。「中」で生きる上でそんなことをしていてもあまり意味はないのだが、爪弾きされたものとしては、そういうことをしていないとこの世界は生きていくには厳しすぎるのだ。20年培ってきた処世術でなんとか今の所会社員をやれているが、いつまでやっていけるだろうか。最早年下が社会人として立派に成長(それがどういうことかはいまいちよくわかっていないのだが)したりしている中、自分は障害者手帳片手に朝定時に会社に行けない言い訳を考えるので精一杯だ。

 

 全ての他者は嫌いだ。自分を疎外する世界の端末みたいなものだから。その前提の上で、自分にも付き合いのある友人がいる。みなどこか世界から疎外されたような雰囲気を纏っているから、自分でも共感ができることを言ってくれる。ただし、そこに共同体はない。自分は今でもどこにも属せていない。ただ単にともに疎外されているだけだ。単なる似た者同士。でもそれで十分であるし、とても有り難いことだと考えている。

 

 けれども恋愛や新しい友人作りについては今の自分の交友関係の外に出る必要があるし、それは他者の存在を許せるようにならない限りどうにもならんだろうなあとも思っている。他人にとって自分は必然ではないし、自分にとってどの他人も必然ではない。それは別にいい。そういうものだとわかっている。「無条件にお互いを必要とし合う」というのが要件。ただ、そこに至るまで、魅力のない自分は努力をする必要があるし、その努力の内容が「自分を嫌っている存在に好かれようとする」なのだから、余裕のない自分にやれるものではない。いや、「自分を嫌っている」と言うより「自分が嫌っている」なのだろうが、いずれにせよ精神衛生に悪い。

 

 本当は『世界の法則』に手を伸ばすのだって、色んな人と一緒にやるほうが効率がいいのだ。仲間や恋人や、とにかくいろんなバリエーションの人間関係があったほうがいいのだと思う。自分にそれはできないけれど。今ある関係性の中でやれることをやっていく。ベースを練習する。本や漫画を読んで人と話して文章を書いて言語化する。やっていきましょう。